ひとりひとりの想いをかたちにするお手伝いですひとりひとりの想いをかたちにするお手伝いです

デジタル建築カメラマン 田岡信樹さん

皆さん御存じでしたか? デジタルフォトグラファーの第一人者であり、日本を代表する建築カメラマン、フォロワーの数60万人という男が愛知県にいることを。彼の名は、田岡信樹。

私は今までにも建築雑誌を数多く企画出版させていただき、多数の建築カメラマンと知り合いました。その中でも会った瞬間から「何か持っているな」と直感した男でした。

建物の特徴
建てた人の意図を瞬時に見極めて写し出す

最初の出会いは、ある住宅展示場の撮影に立ち会わせてもらった時です。

待ち合わせ場所に現れた彼は、建物の外周をひと回りしたかと思うと、誰も考えつかなかったポジショニングから次々とシャッターを切りまくりました。中に入ってこれまた驚き。建築家、施主さんの言いたいことを知っているかのように、特徴を瞬時に見極め、シャッターを切りまくります。終了まで、内外合わせて約1時間半。「フォトブックにして後日お渡しします。お疲れ様でした!」と言い、次の現場へ向かうため立ち去りました。

後にその展示場にお邪魔した際、施主さんがフォトブックを自慢気に見せてくれました。めちゃくちゃカッコよかった――その一言に尽きます。そこでは何人もの建築カメラマンに撮影を依頼したものの何かしっくり来なかったという経緯があり、そのこだわりがようやく写し取られたものでした。

あの短時間でこれだけクオリティの高い、かつ人を惹きつける写真を撮った男に、もう一度会いたい、話を聞きたいと思い、取材を申し込むと、忙しい身にもかかわらず時間を空けてくれました。

大手ハウスメーカーを経て
工務店でデジタル能力を発揮
独学で始めた建築写真

「建築カメラマンの修業をどこでされたのですか?」という質問に対し、これまでの歩みを語ってくれました。

「私は電気屋の息子で、小さな頃からおやじが家電を配達するのを、小遣いをもらって手伝っていました。そこで色々な家にお邪魔する中で建物に興味を持ち始めました。その影響で、多くの建築家を排出している有名大学に進学。4年間みっちりゼミで勉強し、卒業後は安全パイの大手ゼネコンに就職するつもりでいたのですが、大手ではデザインがやりにくいということで、当時デザインで人気のあった某ハウスメーカーに入社しました」

しかし現実は、売上成績だけを競う部署に配属されたそうです。
「しばらく勤めましたが、家が売れるのは自分の実力ではなく組織のブランド力だと気付きました。もしこのブランド力がなかったら、自分には売れないだろうと。それならブランド力と程遠い地方の小さな工務店はどうだろうと考えていたところに、ある工務店の社長に言われました。お前が好きな建物を自分で設計し、プロモートして売って来い、と。この一言で、その工務店に入りました」

これが田岡さんの人生の転機になりました。

電気屋の息子だった彼は幼い時から、まだ一般には普及していなかったパソコンを扱い、四六時中パソコンで遊んでおり、中学生の頃には一人前のプログラマーでした。それが役立ち、自分の想いを表現するためパソコンを駆使し、当時珍しかったCGで、顧客の要望に沿うプレゼンテーション用資料を短時間でいくつも作成します。その提案力に顧客がどんどん引き寄せられ、会社の業績は伸びていきました。そして、「さらに自分で設計した建物を工務店目線でカメラに収めようと、独学で写真を手掛け始めました」

その頃はまだフイルム式が主流の時代。が、そのタイミングで、彼の前に天からの贈り物というべく、デジタル一眼レフカメラが舞い降ります。彼はデジタルカメラとパソコンを自分流で結び付け、今日の田岡ワールドの原型を作っていきました。

工務店や建築家の仕事を
伝えるのが役割

その後、「大手ハウスメーカーのようなブランド力のない工務店さんを応援したい。その道が自分には一番合っている」と、カメラマンとして独立を果たした田岡さん。彼は言います。

「現場を撮るだけの建築カメラマン、ホームページを作るだけのプログラマーはたくさんいます。依頼主が何のために私に写真を依頼するのかというと、自己満足のためではなく、作った建物を多くの人に見てもらいたいのだと思います。だから、写真とホームページを連携させ、SNSを活用します」

さらに熱い言葉を継ぎます。
 「私は、現場を知り、工務店さんの悩みを知っています。そして、施主さんの欲しいものが何かを現場で気付かせてもらいました。これを多くの工務店さんに届けたい。『みてみてオープンハウス』と一緒です。工務店さんや建築家に喜んでもらえることが大切。彼らの仕事をエンドユーザーに伝え、多くの工務店さんと施主さんが出会える機会を作るのが私の役割です」